こんばんは、桜の宮さらです。

 

今回も【わたしのセクシャル世界観】をお伝えしていきます。

 

 

AVを数百本見て思ったのは、セックスだと

「通常ではできないようなコミュニケーションができる」

ということです。

 

例えば、SMで言うと。

 

SMは服のサイズではなく、女王様と奴隷のやつです。

 

 

様々なセクシャリティの様相のなかで、SMは「哲学的」と言われたりすることもあり、色々なご意見をお持ちの方がいらっしゃると思いますが、個人的な意見を書きますね。

 

Sは単にMをいじめるっていう話ではなく、、、

 

Sは、MがSをこころから信頼して、全てを委ね、Sはそれを踏まえて、Mの秘めた部分をさらけ出させたり、快感を与えたり、痛みを通じて絆を結んだりする、という関係性。

 

一見、SとMで役割が分かれているようで、流れによって実質的にSがM、MがSになってたりする。

 

MがSを喜ばせてあげるように見えて、Sがとってもサービスしてあげてたり、Mがとってもサービスしてもらったりしたりするってことネ。

 

そして両者の間には、信頼や尊敬がある。

 

日常でもそういうやりとりって、象徴的に起きてると思うんですが、SMはプレイの中で直接的にからだを使ってそれを表現できるわけです!

 

単に相手をいじめたくて、縛ったり吊るしたり叩いたりしてるわけじゃないのです(笑)

 

とくに縛る人は職人の世界であり、縛ることで女性のからだの美を表現したりもします。

縛るプロもいますし、縛られて本当に命を落とす人もいます。

 

それがいいか悪いかは別の問題として、ベースには、大人の

「深いコミュニケーション」

があるわけなんですよね。

 

AVの世界においても愛と欲望、光と闇、汚さと健全さが混ざり合ってました。

 

そして私は確信しました。

 

「コミュニケーションのツールであるセックスは、ベースになるもの(愛や信頼)が大切!」

と。

 

そして、SMなり複数なりおもちゃなり、「淫ら」と思われているのは、愛の表現のしかたであって、互いに愛と信頼があって互いが本当にそうしたくてその責任が取れるなら淫らに楽しむのはとってもいいこと!!

(むしろ愛と絆がアップ)

 

という結論に至りました。

 

そんなわてくしの勢いがすごかったのか、またいろいろ引き寄せてしまいます(笑)